演奏活動
こうして、亡命したという事実を認める事なく、ソ連側は
アシュケナージが西側で演奏活動をすることを認めたのです。
その存在を抹殺するには、アシュケナージはあまりにも世界的
有名な演奏家であったようです。
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アシュケナージとしは、二度とロシアの土を踏む危険は犯す
まいと心に決めていたので、ソ連側が主張する「自由に...」に
反発し「それは真っ赤なウソだ!」と断言していました。
最初にアシュケナージが落ち着いたのは、奥さんの故国アイス
ランドでした。奥さんの家族や西側での友人達のサポートが
あって、西側で活動を始めます。
アシュケナージは「ソ連では敷かれたレールを歩いていれば
良かったが、自由はなかった。西欧では自由はあるけれど、
その海は冷たい。」と言っていました。個人主義が徹底した
ヨーロッパでは尚更でしょう。
アシュケナージはピアニストとして高い評価を得ていましたが、
彼の目指す音楽はピアノの枠に留まらない。当初より指揮者も
目指していたアシュケナージは、西側にきてそれを実行に移す。
それに大きな力を貸してくれたのは、アンドレ・プレヴィン
でした。勿論最初は「ピアニストが俄仕込みで指揮者なんか
やれるものか」と、大方否定的な見方をしていたようです。
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