先生との出会い
そうは言っても、戦後は本が少なくなって、かなりコネが
ないと手に入らなかったと書いてあります。
ただ、公式には入手不可能でも、闇市なるものがあった
ようで、日本の戦後もそうだったと聞いているので、
人々はどんな国でも、どんな時代でもたくましく生きている
んですね。
スポンサードリンク
さて、そんなロシアでは、飛び抜けた才能を持った子供を
のばす為の施設は西側諸国とは比べものにならないくらい
充実しているんですね。
そのせいで特権階級が出来てしまったことも事実だとも。
アシュケナージのピアノの先生は、アルメニア人女性で、
この先生との出会いはとても大きいようです。
この女性教師は子供を教える事にかけては右に出る者が
いないほど上手だったようで、成人の弟子は取らなかった
ようです。幼いアシュケナージの視野を広げ、可能性を
引き出してくれた先生だと言っています。
アシュケナージのピアノの音が多彩で、オーケストラを
聞いている様に思えるのも、この先生の指導の賜のようです。
どんなに教師が一生懸命でも、教わる側が受け身だとうまく
行かない。でも、アシュケナージはお小遣いを全部演奏会に
費やしていたというほど、音楽に没頭していたほどなので、
相乗効果がかなりのものだったでしょう。
スポンサードリンク
サイト内関連記事
- アシュケナージ
- クラシック音楽のブログなのにナンですが、大好きな アシュケナージのコーナーを設け......
- アシュケナージ 2
- アシュケナージは1937年7月6日に、モスクワの東方約 250マイルにあるヴォル......
- 音楽
- アシュケナージが音楽を始めたのは、まさに生活のためであり 彼の才能が一家を支えて......
- アシュケナージの才能
- 後にアシュケナージは、この父親のピアノの才能について「自分に は あんな即興演奏......
- 音楽的要素
- ほとんど両親が別居状態の中で、父親との会話もなく、父の素性を 知らなかったのも無......
- 民族的開放感
- アシュケナージ・ユダヤ人をして「世界統一を狙う悪魔の集団」と まで言わせしめる理......
- ユダヤの血
- まったくユダヤ的ではないアシュケナージですが、それでもユダヤ の血が入っている事......
- 音楽家アシュケナージ
- アシュケナージの一家は、父親の才能のおかげで、わりあいと 生活には困らなかったら......
- 才能の開花
- アシュケナージの才能はピアノを習い始めてすぐに開花し、 彼の教師がすぐに中央学校......
- 学校
- ロシアも排他的なら、ヨーロッパも同様で、当時ロシア音楽を 根拠なしに格下と見なさ......
- アシュケナージとソ連
- アシュケナージが若き日を送ったソ連という国について、こんな 風に書かれて居ます。......
- モスクワでの生活
- そんなモスクワでの生活で楽しかった思い出と言えば、父親 と一緒にサッカーの試合を......
- アシュケナージの両親
- アシュケナージの両親は、いつでも、どんな時でも彼が ピアノを弾けるように環境を整......
- アシュケナージと文学
- コンサートへ行く自由はあったようですね。 でも、多分ロシア物が殆どだったでしょう......
- アシュケナージの基礎
- アシュケナージはショパンコンクールで二位を獲得して いますが、それはこの中央音楽......
- リヒテルとの逸話
- リヒテルとの逸話が紹介されていました。 リヒテルはアシュケナージが心の中でその演......
- ピアニスト
- 結局、この後アシュケナージは自分が用意した曲を弾いて アドバイスをしてもらったん......
- スパイ活動
- ただ、ソヴィエト連邦の人民であることは、個人の自由が許され ない場合も多々あるん......
- 亡命
- どこへ行くにも見張られていて、まったくプライバシーの ない状況に、自由な国で生ま......
- 演奏活動
- こうして、亡命したという事実を認める事なく、ソ連側は アシュケナージが西側で演奏......
- アシュケナージとイギリス
- おとなしくピアニストで居れば良いものを...といわれることは 多分百も承知だった......
- 故国への思い
- さて、故国を捨てたはずのアシュケナージ。 国を捨てた直後は、日本での公演の際、わ......
- モスクワでの公演
- モスクワでの公演の曲目リストです。 1.ウォルトン/交響曲第2番 2.ブリテン/......
