モスクワでの生活
そんなモスクワでの生活で楽しかった思い出と言えば、父親
と一緒にサッカーの試合を見たり、コンサートに行ったこと
だそうです。他にもサーカスや展覧会などいろいろあっても
アシュケナージはあまり興味がなかったようです。
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趣味の選択肢も極限られていたということですね。
当然本も検閲を通った者だけで、情報も極めて偏っていた
のでしょう。外から見たらそれは不条理の世界と言えます。
でも、その中の世界しか知らなければ、自分たちが置かれて
いる状況に異常は感じないわけです。
アシュケナージは半ば強制的に(表向きは自由参加ということ
になっていたようですが)ピオニール活動なるものに参加させ
られていたようです。どうもパイオニアの同義語らしいんです
が、ボーイスカウトに似てるんですかね。社会活動やキャンプ
を通して健全な生活を送ることを目的としたようです。
子供なりに宿題やピアノのレッスンに追われ、あまり時間が
無かったようです。それゆえ、出来るだけピアノのレッスンは
さっさとやってしまって終えればそれで完了としたかったと
書いてあります。反覆して練習することに意味があることを
当時は知らなかったとも。
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