アシュケナージとソ連
アシュケナージが若き日を送ったソ連という国について、こんな
風に書かれて居ます。
「西欧では当たり前とされているあまりにも多くの面で、日常
生活は規制を受け、選択の自由が殆ど皆無であったばかりでなく、
さらに大変だったのは日々の生活のあれもこれもが、むやみに
煩わしく手間取ったことである。」と。
どうやら電車やバスに乗るにも、洋服を買うにも、歯医者に行く
にも、生活に即必要なことですらうんざりするほどの手続きが
あって、やたら時間がかかったようなんです。
スポンサードリンク
テレビだってさぞかし面白くなかったことでしょう。
今の北朝鮮ほど酷くないにしても、似たようなものがあった
かも知れません。
アシュケナージが言うには、モスクワで過ごした子供時代には
西欧人が興味を持ちそうな事は何一つ無かったということです。
余談ですが、バレエ漫画・アラベスクの中で、レニングラード
の学校でバレエを習う19歳の学生である主人公が、購買部で
ストッキングやドレスを普通に買っていましたし、自由にバス
や電車に乗っても居ました。でもそれはアシュケナージの幼少
時代よりもずっと後の事なんです。
スポンサードリンク
サイト内関連記事
- アシュケナージ
- クラシック音楽のブログなのにナンですが、大好きな アシュケナージのコーナーを設け......
- アシュケナージ 2
- アシュケナージは1937年7月6日に、モスクワの東方約 250マイルにあるヴォル......
- 音楽
- アシュケナージが音楽を始めたのは、まさに生活のためであり 彼の才能が一家を支えて......
- アシュケナージの才能
- 後にアシュケナージは、この父親のピアノの才能について「自分に は あんな即興演奏......
- 音楽的要素
- ほとんど両親が別居状態の中で、父親との会話もなく、父の素性を 知らなかったのも無......
- 民族的開放感
- アシュケナージ・ユダヤ人をして「世界統一を狙う悪魔の集団」と まで言わせしめる理......
- ユダヤの血
- まったくユダヤ的ではないアシュケナージですが、それでもユダヤ の血が入っている事......
- 音楽家アシュケナージ
- アシュケナージの一家は、父親の才能のおかげで、わりあいと 生活には困らなかったら......
- 才能の開花
- アシュケナージの才能はピアノを習い始めてすぐに開花し、 彼の教師がすぐに中央学校......
- 学校
- ロシアも排他的なら、ヨーロッパも同様で、当時ロシア音楽を 根拠なしに格下と見なさ......
- モスクワでの生活
- そんなモスクワでの生活で楽しかった思い出と言えば、父親 と一緒にサッカーの試合を......
- アシュケナージの両親
- アシュケナージの両親は、いつでも、どんな時でも彼が ピアノを弾けるように環境を整......
- アシュケナージと文学
- コンサートへ行く自由はあったようですね。 でも、多分ロシア物が殆どだったでしょう......
- 先生との出会い
- そうは言っても、戦後は本が少なくなって、かなりコネが ないと手に入らなかったと書......
- アシュケナージの基礎
- アシュケナージはショパンコンクールで二位を獲得して いますが、それはこの中央音楽......
- リヒテルとの逸話
- リヒテルとの逸話が紹介されていました。 リヒテルはアシュケナージが心の中でその演......
- ピアニスト
- 結局、この後アシュケナージは自分が用意した曲を弾いて アドバイスをしてもらったん......
- スパイ活動
- ただ、ソヴィエト連邦の人民であることは、個人の自由が許され ない場合も多々あるん......
- 亡命
- どこへ行くにも見張られていて、まったくプライバシーの ない状況に、自由な国で生ま......
- 演奏活動
- こうして、亡命したという事実を認める事なく、ソ連側は アシュケナージが西側で演奏......
- アシュケナージとイギリス
- おとなしくピアニストで居れば良いものを...といわれることは 多分百も承知だった......
- 故国への思い
- さて、故国を捨てたはずのアシュケナージ。 国を捨てた直後は、日本での公演の際、わ......
- モスクワでの公演
- モスクワでの公演の曲目リストです。 1.ウォルトン/交響曲第2番 2.ブリテン/......
