才能の開花
アシュケナージの才能はピアノを習い始めてすぐに開花し、
彼の教師がすぐに中央学校に転校させるべきだと考えた。
かくしてアシュケナージが中央学校入学の為の試験を教授陣の
前で受けたのは7歳の時でした。
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この中央音楽学校というのは実は帝政時代から存在していた
といいます。19世紀半ば頃にモスクワとサンクトペテルブルク
に設立され、エレナ・パブロブナ皇女の支援で成り立っていた
学校でした。この中央音楽学校というのはどうやらモスクワ音楽院
の付属の学校のようです。アシュケナージはこの二つの学校で
2人の教師に習ったわけですが、連携が取れていたので混乱する
ことはなかったと言います。
なんと、チャイコフスキーはこのモスクワ音楽院で和声法の
初代教授だったというのですから、由緒正しい音楽学校の
ようです。
しかし、ロシアの場合隔絶された社会に才能ある子供達を閉じこめ
洗脳にも似た英才教育を施します。欠点として、ロシアやソ連以外
の国の作曲家の音楽に触れる機会が著しく少なかったということ。
それゆえ、一流演奏家でありながら、ベートーヴェンやモーツァルト
をコンサートのプログラムに加えない...ということになります。
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